戦時中の食料難と生きる知恵災害が多い現代。このようなときこそ、昔の不便な生活を身近に感じることもあるのではないでしょうか。日本は8月15日を「終戦の日」としていますが、「戦争」と聞いても、いまいち実感が湧かないというのが本音だと思います。

多くの犠牲を出した戦争。当時の人々の暮らしは、一体どのようなものだったのでしょうか。そこで、戦時中の暮らしをピックアップしてみました。

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戦時中の日本の暮らし!食べ物がないときはどうしていたの?

戦時中の暮らしどの雑誌や記録を読んでも「戦時中は食べ物がない」という言葉が出てきます。

そもそも、なぜ戦時中はこんなにも食料不足だったのでしょうか。実は、戦時中の食糧難の原因は、以下の2つにあるようです。

・輸入に頼れない
・徴兵による労働力の低下

第二次世界大戦の勃発と同時に、日本はアメリカのみならずヨーロッパとも貿易ができなくなりました。海外諸国は日本への石油輸出が禁止され、経済的にもエネルギー的にも大きな打撃を受けます。このとき、政府は公益公団という物資の配給を行う団体を設立。この公益公団が、国内で食料等の配給を行うことになりました。

食べ物を取り上げられる?配給制度の裏事情

戦時中の闇米配給というと「無料で食べ物を配ってもらえる」というイメージが強いと思いますが、実際は少し違います。

配給制度は、国民に一定の食事を与える制度。つまりは、一定以上の食べ物を持っていた場合、政府に取り上げられてしまうという仕組みだったそう。この配給制度により、食べ物を隠していた場合は没収され、配給で足りない分は、着物や家財道具を売り、食べ物にかえていたようです。

また、政府の目を欺き、不当に米を売り買いする人もいました。食べ物がないので、こうした事情は仕方ないかもしれません。不当に取引された米は「やみ米」と呼ばれ、米を作る農村などで多くみられた光景だと言います。苦しい時代ですね。

配給制度で配られていた食事の量

では、配給制度で配られていた食事の量はどのくらいだったのでしょうか。

国立公文書館によると、戦時中の配給量は「現在の食事量の3/4程度」の量だったようです。

1日の米の配給量は年齢や職業によって異なり、1941(昭和16)年当時、1歳~5歳が120グラム、6歳から10歳までは200グラム、11歳から60歳までは330グラム、61歳以上は300グラムに定められていました。この配給基準は、当時の1人当たりの平均消費量と比べて4分の3程度の量でした。配給そのものが遅れたり滞ったりすることも日常茶飯事となっていきました。
公文書に見る戦時と戦後より一部抜粋

1合のお米は約150gですから、食べ盛りの子どもや成人男性にとっては、やや少ないと感じるほどの量ということがわかります。しかし、この配給が毎日行われていた訳ではありません。配給が実施されない日も多くなり、最終的には米不足に陥り、白米ではなく玄米や乾麺が支給されていくようになったようです。

ちなみに、やみ米の価格は最大で49倍にも跳ね上がったとか。現在のお米は30kg(一袋)で10,000程度ですので、単純計算で490,000円ほどで取引されていたことがわかります。ものすごい値段ですね。。。

徴兵令

徴兵とは、日本の兵役義務のこと。日本国民は満20歳になると、3年間の兵役が課せられます。これを兵役法と呼びます。この兵役が課せられた結果、各家庭の労働力は低下し、特に米を生産する農家は深刻な労働力不足に陥ったのです。

兵役を課せられるのは、「体格が良い」かつ「健康」な男子ですが、兵役を逃れるため、障がい者のふりをする者も多かったため、徐々に条件が緩和され、多少目や耳が不自由な人でも徴兵されたと言います。悲しい時代です。

食糧難の時代に考案された「かさ増しレシピ」

しかしながら、戦時中であっても何とか3食の食事は保てていたようです。その理由は、一般家庭で流行った「かさ増し」という料理法。

ご飯を水でふやかして「お粥」にしたり、パンは小麦粉ではなく得体のしれない「変な粉」を使うなどしていたそうです。

第二次世界対戦の戦争中の食事

第二次世界大戦という戦争を生き抜いた人の食事の知恵を聞いてきました。

・山菜を塩漬けにし、天日で干して保存する。
・砂糖がなかったため、干し柿で甘味をとった。
・豆類は焙烙で炒ってお菓子などに使った。
 
・米を天日に干して炒って食べた。
・固くなった餅は、焙烙で炒って元に戻した。

焙烙とは土鍋の一種で、炒り鍋とも言われています。茶器とも呼ばれています。また、天日干しとは、太陽の光に直接当て、最も自然な保存食の作り方で、高い殺菌効果も期待でき、保存食に向いています。1時間天日干しをした場合、黄色ブドウ球菌の数が8100万から0に近い数値にまで減少したというデータもあるようです。

さらに、乾燥させ水分を飛ばすことによって細菌の増殖が抑えられます。

このように、簡易的な調理器具しかなかった戦争という時代、人々は保存食を日常的に作っていたのですね。戦争の敗戦の年は配給もままならなくなり、食料はほとんど無かったと言います。

食事もままならずに何時もお腹が空いていて、色々な工夫をこらして、食料を保存していたと言います。

戦国時代の食事

戦争を生きた人々に習い、私たちも常日頃から食料を保存しておく癖を身につけたいものですね。そこで、合戦時(戦国時代の戦争中)の食事についても調べてみました。

合戦食「兵糧丸」レシピ

  1. 麻の実の皮をhug剥ぐ。
  2. 黒大豆を混ぜて粉末になるまですりつぶす。
  3. すりつぶしたものにそば粉をまぜる。
  4. ③でつくったものを酒に浸す。
  5. これでもかってくらい浸したら、天日で乾燥させる。
  6. その後、改めて酒に浸す。
  7. もう一回干す。
  8. しつこく酒に浸して酒がしみこんだら丸く固める。

戦争は簡易的な調理器具も何もない時代でしたから、この兵糧丸は保存性を重視して作られた食事です。

戦時中を生きた人から当時の食事事情を聞いてみた

ここから先は、昭和初期生まれの人の体験談です。当時の状況をお話してもらいました。

お弁当は裕福な生徒しか持つことができない贅沢品だった

学生のお弁当は、裕福な家庭でなければ持っていくことができなかったそうです。お弁当がない子供は、空腹をごまかすため、水を飲み、お弁当を楽しそうに食べる友人がいる教室を離れ、校庭の片隅で時間をつぶしたそうです。

食べるものがないけれどお金を使わずとも生きていけた

食べるものがない時代ですが、家電製品もないため電気代も使わず、生活コストはとても低かったようです。

物々交換ができ、「物を買い替える」という意識が少なく、壊れても使うという生活サイクルで、お金を使わなくても何とか生きていけることができた時代。捨てるものを再利用することや、修理や修繕専門の職も、今よりずっと多かったといいます。

お金はないけど心が豊かな時代だった

現代社会では、命を失う危険性が低くなったにも関わらず、幸福度は低いといわれています。

戦時中の暮らしと現代の暮らしを比較してみると、「生きる目的」が大きくことなるようなイメージがあります。戦時中は「生き延びること」を目的とし、現代は「より幸せになること」を目的に、みんな生きているのではないでしょうか。

それは、現代人の幸せという定義の難易度がとても高くなったから。現代の「幸せになること」というのがとても難しい意識で、

いい容姿、いい学歴、いい資格、いい伴侶、いい子供・・・と、幸せになるためにクリアしなくてはならない難関が数多くあるようです。

それには早期教育が何よりも重要視され、遊ぶことが悪という教育が主流になっていく可能性があります。命を繋いでいくことが目的だった戦時中から、誰にも見下されない人生を歩むことへ目的が変わりつつある現代。

それ故、自分に自信を持てず、ストレスを多くため込んでしまう人が多いのではないと思います。

まとめ

戦時中は、様々な工夫をこらして何とか空腹をしのいでいたのですね。困難な状況の中、見つけたレシピは、現代社会でもたくさんの人に親しまれている日本の伝統的な料理になってきています。災害が多い現代社会。昔の人の知恵を活かしていきましょう。

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