被災男性Bさん被災男性Bさん

東日本大震災で卒業式を迎えることができませんでした。そんな自分の切ない話を聞いてください。

震災で卒業式がないまま終えた大学生活

2011年3月11日。私にとって一生忘れられない日です。

当時、東北大学の四年生である私は、仙台市の川口にある一人暮らしのアパートで上京就職の準備をしながら、二週間後の3月25日の卒業式を心待ちにしていました。

あの日は、青葉区役所で住民票を貰いに行き手続きしている最中に、突然地盤が揺れ始まりました。

最初は「どうせすぐに収まるだろう」と、大した地震ではないと判断して、動じませんでした。しかし、突然揺れが激しくなり、区役所のライトが目の前で落ちてしまったのです。その光景に「今回の地震はやばい」と震え、とにかく市役所職員の指示で、区役所にあった机の下で揺れを待つことにしました。

揺れが長く続くほど不安がつのりました。区役所に置いてある本や資料がどんどん床に落ち、その落下音にさらに恐怖を感じたのを覚えています。

揺れが収ったら帰宅難民になった

揺れが落ち着いてすぐに区役所の外に出て、状況を確認しました。すると外にある車が、ずっと長く列んでおり、自分で運転してきた車を駐車場から動かすことができない状態でした。

もちろん、家に帰るバスもありませんでしたので、歩いて帰る事にしました。

何とか帰宅して、まず電気とガスをチェックしてみたら、止まってしまい使うことが出来ません。仕方なく携帯で友人へ連絡しようと思っても、携帯さえも使えませんでした。当時はスマートフォンはありませんでしたので、通話頼りでした。

三月の仙台はまだ寒く、電気もガスもない状態で「このまま暗くなったら凍えてしまう。一人ぼっちでどうしよう」と考えたら、不安と焦りで胸が押しつぶされそうでした。

避難生活はこのまま世界が終わるかもしれないような恐怖感

一人でいると、恐怖に襲われてしまうため、素早く荷物を片付け、在宅かどうかわかりませんでしたが、思い切って大学の友人の家を訪ねてみました。

夕暮れ、地震でボロボロになった街、誰一人歩いていない壊れた道路。このまま世界が終わるかもしれないような恐怖感の中、友人のアパートにつきました。

幸いにも友人の部屋にはすでに近所の大学生が3人ぐらい集まってきて、私を見たらみんな泣き始まったんです。そして4人で食事もとらず、眠ることもできずに地震後の最初の夜を過ごしました。

卒業式がないまま大学生活を終えた

本震から、数えられる余震は134回ほど。その度に死ぬかもしれないという不安でいっぱいでした。次の日みんなで学校へ行き、1週間ほど学校の食堂で何百人の学生と一緒に避難生活をしました。

もちろん、予定の卒業式もなくなりました。「死ぬかもしれない」という恐怖の中、卒業式も迎えられないままが私の大学生活は終了しました。

あつき

貴重なお話、ありがとうございました!
災害で卒業式がなくなり、さぞ悲しい思いをされたと思います・・・。一生に一度の大切な式典。本当に悔やまれます。続いては、卒業式の最中に被災した人の体験談もご紹介いたします。

卒業式の最中で被災!家族のぬくもりを感じた話

被災女性Dさん被災女性Dさん

私は卒業式の最中に東日本大震災で被災しました。その時に、普段わからなかった家族の温もりを感じました。そんな体験談を紹介します。

専門学校の卒業式中、震災に合いました。 

式の終わりころで、集合写真を撮ろうとしていたちょうどその時、突然大きな揺れがきました。

すぐに外に出るよう指示があり、安全な場所へ移動しました。揺れが落ち着いてから、急いで担任の先生がデジカメでクラスの集合写真を撮ってくれました。それから、会場近くのレストランで待機し、夕方近くに着付けをした会場に友人と戻り、急いでレンタルした着物を返しました。慌ただしく卒業式を終わらせた思い出があります。

卒業式後は家族と連絡がつかず家に帰ることができなかった

揺れが収まったあと、家族に連絡を取ろうと思いましたが、そもそも交通機関が動いておらず、実家に帰る手段がないのです。

石巻の友人と避難所とは呼べない会場近くのレストランで家族と連絡を取りながら、誰かが迎えにくるのを心細い思いで待っていました。しかし、避難所へ行った方が賢明だと判断し、一度みんなで近くの小学校に避難しましたが、人がいっぱいで中に入れず、結局はじめにいたところに戻りました。

山形から通っているクラスの子と友人と、毛布を掛け合い、話しながらそれぞれに家族に電話をかけていました。しかし、停電のうえ電波が途切れ途切れの中、思うように携帯電話がつながらなくなったり、充電がなくなりそうだったりした為、1台の携帯電話の貸し借りをしながら、幾度となく家族への連絡を試みました。

その結果、家族にやっと連絡がつながり、仙台駅まで迎えに来てもらうことができました。奇跡的に、震災に遭ったその日に家に帰ることができたのです。

号泣しながら家族と再会した

その時、わたしも家族もパニック状態だったため、待ち合わせ場所をスムーズに聞き取れず、友人に付き添ってもらったり、電話を代わってもらったりして、何とか待ち合わせ場所に辿り着きました。

とにかくもう何が何だか分からず、号泣しながら家族と再会したのを覚えています。

一緒にいた友人は、家族と連絡がつかなかったため、私の家につれて帰ることにしました。しかし友人は、家族と会えない不安でいっぱいだったようです。

帰宅後、停電になっていたため、家族を囲んでろうそくを立て灯りにしていました。普段はリビングに家族全員が集うことなどありませんでしたので、一晩小さな灯りを見ながら、今まで感じたことのない家族の温もりに涙しました。一人じゃない、これがどれほど心強かったか。

その日の夜、私の家には友人の他に、妹の友人も一緒に避難してきたため、私の部屋ではまるで修学旅行の夜のような状態でした。その日あった出来事や辛い思いなどを話し合い、話が尽きることはありませんでした。みんなでいたからこそ、乗り越えることができた震災。これが一人なら、とても耐えられなかったと思います。

震災に遭いましたが、人のぬくもりや命の大切さを肌で感じることができたように思います。それがせめてもの救いでした。

まとめ

あつき

貴重なお話、ありがとうございました!
普段、顔合わせて当たり前の家族。災害によってそんな家族と会うことさえままならないことがあります。震災時に電話が繋がるとは限りません。早速、今日にでも避難経路や連絡手段、待ち合わせ場所について話し合ってみてください。イザというときのための、連絡手段は確保しておきましょう。

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